出産レポその⑤
デン デン デン とヤシマ作戦のBGMが鳴り響くも、ママの脳内は意外と冷静でした。
パパまだかなー、早く来ないかなー、でも来てこんな姿見せるのどうなのかしら、痛いのやだから早く出したいなー、など、いろいろなことを考えていました。
そして1分おきに襲い来る陣痛。
今まで冷静を保ち、煩悩が蠢いていた脳内は全てクリーンアップされ「死ぬほど痛い」の情報で1000%埋め尽くされました。
この頃になると1分おきにこれが続きます。
いきむより、力を抜いて、ゆっくりと息を吸って吐く方が痛みが幾分ラクですよ〜、との助産師さんのありがたいアドバイスに則り、実践するも、
こりゃムリです。
まず「力を抜いて」のくだりからムリです。力を入れていない状態でこの痛みを迎えたら恐らく意識を失うと思います。
こっちはタオルをさるぐつわにしてヨダレと汗と涙と鼻水まみれで頑張ってるんだ。
あとゆっくりと息を吸うことはできても、
吐けません。
かわりに叫びます。
耳をつんざく声にならない叫びが、分娩室をこだまします。
そのタイミングでパパ登場。
ヨダレと汗と涙と鼻水まみれのママと対面します。
パパはもうそれにリアクションしている場合ではありません。
出社して2時間後に「もうそろそろ産まれます」という突然の病院からの電話。
(ていうかそのちょっと前に病院に電話したら「ご家族の方でも進捗状況は教えることが出来かねます」と突っぱねられたのに・・・)
いっっそいで車をぶっ飛ばして病院に到着したので、めちゃくちゃに焦っていました。
なので安堵の表情もそこそこに、ママの応援に励みます。
ママはパパが来たからといって、ヨダレと汗と涙と鼻水を止めることはできません。
タオルを噛んで、タオルを握って、一点を見つめ、陣痛のピークで、いざ、いきむ!!
「うぎゃああああああああああ!!!!!」
ジャンルの違う激痛が体を走りました。
さっきからチラチラ見えていた赤ちゃんの頭が、ひょっこり首まで出た瞬間でした。
と同時に、未破水のため残っていた羊水が噴水の様に勢いよく噴射!
パパの顔の横2cmをかすめました。
助産師さんが手際よく体部分を引っ張り出して、ご対面。
へその緒をつけたまま、ママの胸に乗せられて、そのまま初授乳。
えっ!?もう!?ていうか吸えるの!?え!?吸えてる!!
産まれて2秒で驚きの連続と、生命の神秘に感動しっぱなしでした。
次回が最終回かなぁ・・・
出産レポその④
6/30
ママ、陣痛で一睡もできず。
パパはママの陣痛に合わせて今まで2日間仕事をお休みしていましたが、今日の朝は外せない仕事があり、出社しなければなりませんでした。
8時、パパ出社。
正直仕事どころではなかったので、さっさと仕事を片付けて猛ダッシュで戻ってこようと考えていました。
パパが出社して不安なママ。
それからほどなくして到着した朝ごはんは、ハッシュドポテトにスクランブルエッグに焼きたてホカホカパン。
ぜんぶママの大好物です!
意気揚々と食事に挑むママ。
ですが、朝から陣痛の間隔が明らかに早まっている。
そして、明らかに強くなっている。
大好物も食べていられないほどに。
数分おきに様子を診に来てくれる助産師さんに今の状況を伝えます。
「うんちもおしっこも全部漏れそうなほど痛いんですけど。。。」
すると助産師さん、
「そう!それをずっと待ってたのよ☆」
そんな明るい顔で言われても・・・
その頃には「いきみたい」と言う感情が頭をかけめぐっていました。
いきみ逃しの呼吸をしながら、1分おきまで短くなった強烈な痛みの陣痛に悶えていると、これはもうお産が近いのではないか!?
「ハァ・・ハァ・・午前中には・・ハァ・・ハァ・・産まれ・・ハァ・・ハァ・・ますかね・・?」
「午前中かはわからないけど今日中には産まれそうだねー☆」
変わらず明るいトーン。
まだまだ余裕ってことか。
この痛みなんてまだ余裕ってことか。
9時過ぎ。
明らかに陣痛の痛みの種類が変わる。
あまりの激痛に、お腹のものをすべてぶちまけてしまいそうな衝動に駆られます。
もうこの頃にはいきみ逃しの呼吸というよりは、咆哮でした。
今までに出したことのない「叫び」で、息を吐き出してました。
10時過ぎ。
やっと分娩室へ移動を促されるも、もう痛過ぎて痛過ぎて動くなんて考えられません。
分娩室は陣痛室の隣でしたが、無理です動けません。
ならばと車イスの使用をおすすめされましたが、座ってるより立ってる方が痛みがマシなので、苦渋の決断。
陣痛の合間の痛みがおさまってる短いタイミングを活用し、本気の早歩きで移動しました。
自然分娩をモットーとしているため、分娩台はありません。
マットレスに寝転がり、粛々と助産師さんがお産の用意を始めます。
「子宮口全開です!」
脳内BGMは、ヤシマ作戦です。
つづく・・・
出産レポその③
6/29、入院しました。
「陣痛室」と「分娩室」があり、どちらも読んで字の如く、陣痛を耐える場所と分娩に悶える場所です。
われわれは陣痛に耐えるべく陣痛室へと通されました。
最近の病院は、まあ綺麗なもので。。
「これ、ホテルなんじゃねェの?」と戸惑うことも。
個室だし、なんか小上がりみたいなところにマットレス敷いてあるし、てゆーかマットレステンピュールだし、3食シェフがつくる料理だし、壁一面窓だし、いいテレビついてるし、、なんなら我が家よりキレイだし・・・
さすが、高いカネ払うだけあるわ。とパパは実感。
(出産に関するお金は、
に詳しいことがいろいろ書いてありましたので、参考までに。)
5分おきの陣痛にうなされながら、ほぼまる1日徹夜のママはハイクオリティな病院にテンションが上がるでもなく、痛みと戦っていました。
そこへママのママ登場。
ママのママは、なんと5人を出産した大ベテラン!
心強い味方がやってきました。
「本当の陣痛が来たら、笑ってられないから」
死にそうな顔で、汗と涙と鼻水を垂れ流しながら、床を這いずり回って、はじめて看護師さんにようやく診てもらえるんだよ」
ベテランに厳しい真実をつきつけられた!
ママとパパは300のダメージ!
まあ確かにそうだよな〜、って。
いわゆる「微弱陣痛」というものだろうな、とは薄々感づいていました。
陣痛は、子宮の収縮によって起きるもの。
子宮の収縮により、赤ちゃんが出て来ます。
つまり陣痛が弱ければ、赤ちゃんがいくら出て来たくても、出てこれないのです。
でもそんなこと考えてるとヘコんでくるので、とりあえず行動におこしました!
病院の階段をひたすら上り下りしたり、リラックスするのがいいと聞いては、浴槽に浸かってゆっくりしたり、、
できることはなんでもやろう!と思うんですけど、できることは、待つこと。
陣痛が強くなるのを、ただ待つこと。
かれこれ、数十時間待ってます。
その日の夜。
一般的に5分間隔で陣痛が来て、子宮口が10cm開くと、出産の態勢が整ったと言えるのですが、
陣痛が始まって30時間経過、今まで5分間隔で来ていた陣痛が10分間隔に。
たかだか5分間隔が長くなっただけなんですが、「5分間隔で陣痛が来ている」というのが、最後の心の防衛線だったので、あの頃の私たちは赤ちゃんが産まれるのを拒んでいるような気持ちになり、ただでさえ憔悴しきっていた心をへし折られたかのような、そんな出来事でした。
無事に出産できるのか、できたとしても赤ちゃんの体は大丈夫なのか。
マイナスな時にマイナスなことが続くと、思考までどんどんマイナスになります。
「明日には産まれて来ますよね?」
そんなことを看護師さんに聞いてもわかるはずがないけど、何回も何回も聞いてしまった。
じゃないと不安で気が狂ってしまいそうだったから。
パパはそばにいることしか、ママのお尻をテニスボールでグイグイ押してあげることしか、気を紛らわそうと空気の読めない冗談を言うことしか、眠気に耐えきれずうたた寝しかできないけど、
ママがマイナスになってる時こそ、プラスでいようと思って、ひとり奮起していました。
これを読んでいる未来のパパたちよ。
陣痛からずっと立ち会うなら、気合いいれとけよ!!
陣痛が始まり、48時間経過。
ゴールの見えないマラソンほど、辛いものはない。
明日こそは、と祈りにも近い感情を胸に抱いて、就寝。
(ま、結局10分おきに痛くて起きるんだけど。)
つづく
出産レポその②
陣痛がきたものの、まだまだ甘い!と病院でカウンターパンチをくらい、帰宅したわれわれ夫婦。
先行き不安どころか、このあと何をしていればいいのか、何が最善なのか、さっぱりわからないまま、ママは5分おきの陣痛に悶えておりました。
パパはひたすらずーーっとネットで検索。
「陣痛 きたら 仕事 休む」
「陣痛 どのくらい 痛い」
「陣痛 どのくらい 長い」
「陣痛 破水 関係」
頭でっかちなパパにはそれくらいしかすることがありません。
ママに陣痛の痛みが来た時に、腰とお尻の間を握りこぶしでグイグイねじり込むように押し込むようにサポート(?)し続けていました。
そんなことをしながら、1日がどんどん過ぎていき、、、。
朝に比べると、夜は陣痛の痛みが強まって来たかな〜?くらいの変化。
パパのかんがえる、ふつうのイメージだと、
「うわあ陣痛だ!」
「病院に向かう途中破水するかも!」
「すぐ分娩室にいきましょう!」
「おめでとうございます!元気な女の子ですよ!」
なイメージなわけです。
それにくらべて、この、今日の、地味〜〜な変化。
(・・・とかいうとママに怒られるので口には出してないですが。)
ママは5分おきに陣痛がきてるので、そりゃつらいのです。
でもまだまだ我慢できるレベルですけど。
「明日の朝イチ、もういちど病院に行こう。」
進展してるか、してないか、わからないってのも、辛いんです。
あのころの私たちは、「今自分たちは長い出産レースのだいたいこのあたり!」という目安が欲しかったのかもしれません。
とにかくとりあえず病院にいけばなんとかなる、入院すればなんとかなる、と焦ってたのかもしれません。
入院したって、陣痛が早まるわけでもあるまいし・・・とは、今だから言えるセリフ。
そして翌日早朝、入院。
地獄の陣痛25時間目が、病院にてスタートを切りました。
つづく。
出産レポその①
6月28日。
AM3時、腹痛にてママ起きる。
トイレで用を足すも、なんだか痛みが治らない。
痛くなったり、おさまったり。
「・・・もしかして」
おなかの痛みの周期を時計で確認して、確信に変わりました。
「陣痛だ!」
ママの陣痛間隔は早く、最初から5分前後で痛みが来ていました。
重い生理痛のような痛みが、ほぼ等間隔で。
パパを起こして、病院の開院時間まで痛みに耐えます。
「陣痛」と書きましたが、まだまだ我慢できる程度。
病院に着いて、今のからだの状態を看護師さんに伝えて、陣痛の強さ・間隔を診られました。
おなかに電極のようなものを2つ貼って、陣痛を数値化する機械に通してデータを見るようでした。
これが結構長い。
30〜40分はつけてたかな?
それが終わったら子宮口の開き具合を診察。
結果、まだまだ赤ちゃんが出てくるにはほど遠い状態とのこと。
夫婦共に、鳩が豆鉄砲食らった顔をしていました。
「じゃ、じゃあどうすれば、、」とためらっていると
「一旦帰っていただいてもいいですよ(ニッコリ)」と看護師さん。
ええーーーー!!!
帰るんかい!!
なーんだ意外と大した事ないのかねェ、とすごすご帰宅しましたとさ。
陣痛が始まって、5時間経過。
この時は、これから襲いくるさまざまな諸問題の想像すらしていませんでした。
いや、できませんでした。
だって、想像の斜め上を行くことばっかりだったんだもん・・・
つづく。
むぎのこと
麦「むぎ」は女の子としてうまれてきました。
2018.6.30
体重は3250g 身長52cmの元気な赤ちゃんでした。
本来、予定日は7/8でしたが、一週間早く出てきました。
出産は簡単なものではありませんでした。
自然分娩での出産だったため、いろいろとわからないことが多く、夫婦でてんやわんやでした。
出産レポートは、また次回に。。。
はじめまして。
むぎにっきはじめました。
出産レポ、日々の生活、むぎの成長、両親の成長、周囲の環境、お金の問題、やなことたのしいこと、いろんな記事をお届けします。